Hedda Gabler「ヘッダ・ガーブレル」@ドラマーテン

遅ればせながら明けましておめでとうございます。

今年はもっと頻繁にブログを更新したいと思っています。

これから一週間に最低一記事更新を目指します。(…頑張ります!)

 

さて、まずは昨年中に書けなかった記事を消化するところから始めていきます。

ご紹介する「ヘッダ・ガーブレル」は、私は昨年10月にドラマーテンのlejonkulanという表玄関とは別の横から入る小さめの舞台で観ましたが、大ホール(Stora Scenen)の方に舞台を移して3月まで公演が続くようです。

「人形の家」よりのノラよりももっと激情的に家庭生活からの離脱を追求するヘッダの姿を描いたイプセンの原作戯曲は、古典中の古典。ベルイマンとも縁の深い作品で、ドラマーテンでGetrud Fridh(ヤットルード・フリード:『野いちご』のイーサク・ボリの奥さんといえば分かりやすいかもしれません)を主演に迎えた1964年版、ロンドンのケンブリッジ・シアターでマギー・スミス主演の1970年版、ミュンヘンのレジデンツ・シアターでChristine Buchegger(日本では『夢の中の人生』というタイトルでVHS・DVDリリースのみのドイツ亡命中の作品で、主人公の妻を演じた女優)主演の1979年版、と3回演出を手掛けています。(Stiftelsen Ingmar BergmanのHP参照)

今回の演出は、女優・演出家のアンナ・ペッテション(Anna Petterson)によるもの。彼女自身1998年にストックホルム市立劇場でタイトルロールを演じたそうです。2012年ストリンドバリ・インティーマ・テアーテル(Strindbergs Intima Teater)での意欲的な「令嬢ジュリー」が高く評価されたそうで、実際に公演をご覧になったお知り合いの方も絶賛していました。

主演は2015年にマルメの演劇学校を出たばかりの若手、エレクトラ・ハルマン(Electra Hallman)。

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不敵な笑みと鋭い視線、ハスキーな声が特徴的な女優さんでした。

 

この公演では、実際に舞台にいるのは彼女だけで、ヘッダをめぐる三人の男性たちはバックのスクリーンの映像で登場するのみという、不思議な「共演」の仕方です。

「ヘッダ・ガーブレル」では銃が象徴的な小道具の一つですが、それを舞台上に準備していたと思ったら、おもむろにTVのリモコンを取り出し、構えます。

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このリモコンでスクリーンの映像を、早送りしたり、消したり、とヘッダが操作するというシーンがいくつか出てきます。

 映像に映る男優たちは初めは等身大で、ヘッダと差はないのですが、物語が進むにつれて、

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足元だけが大写しになって、ヘッダが小人のようになってしまったり、

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あるいはアップになってヘッダの存在を脅かしたり、と、映像ならではの見せ方がされていました。

演出家の狙いをドラマーテンのHPでは次のように紹介しています。

「ヘッダ・ガーブレル」で、アンナ・ペッテションは引き続き、年月が経つにつれ古典となり、観客にとってお馴染みの安心して見られるものになってしまった自然派演劇が、どうすれば、1800年代末当時に爆弾のような衝撃を与えたのと同じように、現代において観客の心を掴みうるか、その可能性を追求する。

確かに、色々な仕掛けを使っていて、かなりインパクトの強い舞台でした。

上記の映像を使った人物の距離感の操作や、リモコンというテクノロジーで男性に対する支配権を獲得しようとしながらも成功し得ないヘッダの格闘の描写などは、意欲的でありながらもメッセージが伝わりやすい演出だったと思います。

ただ、個人的な好みでいうと、ちょっと仕掛けが「過ぎた」印象。

衝撃を与えるということ自体に焦点が置かれ過ぎて、内容がなおざりになってしまったように感じました。それはまた、女優の演技のせいもあったかもしれません。一緒に観た友人(彼女は演劇の勉強をした人なので、その意見の方が当たってるのかもしれませんが)はとても良かったと言っていたのですが、私の目からは、少し感情描写がワンパターンというか、ヘッダの、結婚生活でがんじがらめになってどうにも逃げ道が見出せない苦悩が、ただの日常的なヒステリーのレベルに落とされているような感じがしてしまいました。とはいえ、見る人が見れば違うのかもしれません。あくまでも私の感じ方です。

友人が「バズ・ラーマンが『ヘッダ・ガーブレル』を映画化したらこんな感じかも?」とコメントしたのも納得で、一部ムーラン・ルージュのようなキッチュさも感じられました。

と、ここまで書いておいて、白状しなければいけないことが。

この舞台、実は映像で出演の三人の男優たちが全員ノルウェー人で、ノルウェー語で演じているのです。そのため、私には彼らのセリフは3割くらいしか分からなかったのです…無念。

この言葉の壁のせいであまり舞台に入り込めなかったという部分もあるかもしれません。ただ、これはまたヘッダと男性たちとの間の隔絶の演出であったかとも思います。

私が観たlejonkulanは平台で観客との距離がかなり近い舞台だったので、大ホールの方で観るとまた印象も変わるかもしれません。

大満足、の観劇ではありませんでしたが、斬新ではありましたし、同じ日に来ていた観客の大半が10代後半〜20代前半と思しき若者だったのが印象的でした。古典であっても若い人が確実に飽きずに観られる、という観点からすれば満点の演出だったと思います。

写真はいつも通りドラマーテンのHPより転載です。