Mitt rum, Bergman och jag 部屋とバリマンと私

ストックホルム大学シネマ・スタディーズ修士課程に留学中の筆者がスウェーデンの映画を中心に色々綴ることを目指しているブログです。

"Persona" och "Deformerad Persona" (『ペルソナ』と『歪んだペルソナ』)

久しぶりに『ペルソナ』を観ました。

バリマン作品の中でもアイコニックな1本ですが、個人的にも好きな作品の一つに入ります。何度見ても本当に素晴らしい。本作への私の熱い想いは簡単に語り尽くせるものではありませんので(笑)、多くを語らず本題に移ります。

(ちなみに今日コースの最終プレゼンが終わり、少し息がつけたので、ずーっと書きたいと思いながら書けていなかった記事を今年中に書き尽くしたい所存です(笑))

もう1カ月も前になってしまったのですが、Dramatenで働いている友達がまたも誘ってくれて無料で観させて頂いたのが、”Deformerad Persona”(『歪んだペルソナ』)です。

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本作は、Mattias Andersson(マティーアス・アンデション)とYlva Andersson(イルヴァ・アンデション)の兄妹による、バリマンの『ペルソナ』をかなり自由に翻案した作品で、プレミアは以前紹介したバリマン・フェスティバルでした。

Mattiasは様々な演劇賞の受賞歴を持つ劇作家・演出家で、ヨーテボリのBacka Teater(バッカ・シアター)の芸術監督でもあります。彼の妹Ylvaは、20歳のときからMS(多発性硬化症)を患い、本作は彼女の詩や日記をもとにして、二人で書き上げたものだそうです。

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↑YlvaとMattias

ペルソナは、看護婦アルマ(ビビ・アンデション)が、突如言葉を発さなくなった女優エリーサベット(リヴ・ウルマン)の世話役として、サマーハウスに二人で暮らすうち、お互いの人格の境界が曖昧になりエリーサベットに同化しそうになる、という心理ドラマです。本作では、MS患者だが突如口を利かなくなったサンドラ(Sofia Pekkari)の介護を代任することになったケアワーカーのミーラ(Nina Zanjani)の間に、アルマとエリーサベットのそれと似て非なる関係が形成されてゆく、というのが大筋です。

非常に力強い印象を与える舞台でした。よくスウェーデン語ではmaktspel(権力闘争、パワー・ゲーム)という言葉が映画や演劇などに使われるのですが、要するに力関係の拮抗をスリリングに描いた作品です。

オリジナルのペルソナでは、看護する(アルマ)=される(エリーサベット)という上下関係が、逆転、また逆転を繰り返し、アルマがエリーサベットに立ち向かって打ち勝った(?のかは定かではないが)状態で終幕を迎えます。

一方本作では、介護する(ミーラ)=される(サンドラ)の関係は、サンドラが障がい者であるという事実がある以上、固定されているかのように見えるのですが、後半にかけて上下関係が逆転し、サンドラが上位に立ち続けます。

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オリジナルのペルソナの台詞がそのまま使われている部分も結構あるのですが、劇中ほとんど言葉を発さないエリーサベットとは対照的にサンドラは途中で沈黙を破り、アルマの台詞でミーラを圧迫し始めるのです。ドラマーテンのHPの解説ではこんな風に書かれています。

二人の関係が発展するにつれ、階級・地位・エスニシティ・文化資本・言葉の権力といった問題が二人の間ですり替えを起こす。一体誰が服従し、誰が服従させているのか?相手に頼っているのは誰なのか?誰が病気で誰が健康なのか?

 こういった政治的・社会的問題を盛り込んだ作品になりえたのは、Ylvaの障碍者としての経験が元になっているためです。

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Ylvaはインタビューで次のように語っています。

障碍者は、(略)もし何かスキャンダルが起こりでもしなければ声を上げることはない。だから、別の声となること、何か違うことを語ることが重要な気がする。単に犠牲者であるのではなく、参与し、健常者とは違うものをみせること。障碍者がメディアや他の場所で、何かを成し遂げた者として、劇作家として見てもらうこと。ただ単に、färdtjänsten (障碍者や高齢者のための車の送迎サービス)に忘れられた可哀相な人でいるのではなく。

サンドラが障碍者であるため、オリジナルでは比喩的な病(エリーサベットの沈黙)でしかないものに現実感が加えられ、観ているのが(オリジナルとは別の意味で)苦しくなるシーンもかなりありました。

障碍者とケアワーカーの間の精神的な断絶、ケアワーカーの側の優越感、障碍者であるがゆえの孤独、といった鬱屈とした問題が爆発するのが、ミーラがサンドラの頑固な沈黙を破るため、熱いフライパンで彼女を脅すシーン。

オリジナルでは、どれだけ懇願しても一言も言葉を発そうとしないエリーサベットの頑なさに怒りを募らせたアルマが熱湯をぶっかけようとすることで、彼女から「やめて!」という言葉を暴力的に引き出すシーンに相当します。

この舞台では、脅しのせいで車椅子から落ちてしまったサンドラを目前にして、「彼女は病気、私は健康、彼女は病気、私は…」と狼狽するミーラがサンドラを車椅子に戻そうと奮闘する姿が、介護の現場の辛さというものを直に感じさせます。細くて小柄なミーラが背の高いサンドラを車椅子に戻すことの大変さを、演出家は肉体的な重労働として見せると同時に、ケアワーカーとして障碍者と接することの精神的な葛藤の表現としても用いていたのではないでしょうか。

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役者陣もいずれも素晴らしい演技で、観終わった後友達と「何て値打ちのあるタダ券!」と大絶賛。圧巻でした。

 

余談ですが、開演前に友達が二列ほど前に座っている女性を示して、

「あの白いセーターの女の子、見覚えない?」

「?ないけど?」

「パニッラ・アウグストの娘!顔、お母さんにそっくりだよ!」

えー!!びっくり!

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娘さんも女優さんだそうです。確かによく似ていました。スウェーデンでは、役者さんと一般人の距離感が近いので、映画に出ていた役者を間近に見るということがさほど珍しくなかったりします。(まあハリウッドで売れっ子になっているレベルのスウェーデン人俳優は別でしょうけど(笑))

そんなサプライズもあった、大満足の観劇でした。

(引用部および写真:ドラマーテン公式HPの本作紹介ページより。記事前半にリンクあり)