INGMAR BERGMAN: The Cinema as Mistress

読了してるのに記事を書けていなかった本がもう一冊。Philip Mosley著Ingmar Bergman: The Cinema as Mistressです。

 

著者のMosleyは現在はPenn State Worthington Scranton所属の比較文学の教授だそうです。翻訳家として活躍されているようですが、映画についての著書は本書とSplit Screen: Belgian Cinema and Cultural Identityとのこと。

本書は初版が1981年なので、『ファニーとアレクサンデル』の前までの作品しか扱われていません。正直なところ、現時点の私にあまり参考になるところはないなあという印象だったのですが、1981年時点での標準的なベルイマン理解の一つとして見ると面白いなと思いました。

 

第一章はThe Nordic Angleと題して、ストリンドバリ、スーデルバリ、カール・ドライヤーとの比較を行っているのですが、特筆すべきはベルイマンをストリンドバリやスーデルバリより優れていると見なしている点です。これはいわゆるバリマンの神格化とまではいかないが、auteurとしての彼の卓越性をそのまま認めていることの表れではないでしょうか。

第三章Canonical Filmsでは、『第七~』、『野いちご』、『道化師の夜』、『魔術師』、『狼の時間』、トリロジー、『ペルソナ』、『恥』、『情熱(En Passion)』、『ザ・タッチ』、『叫びとささやき』の13作についてそれぞれ論じています。個人的に、英語圏の人は結構『恥』や『情熱』に高評価を与えるという漠然とした印象を持っているのですが、Mosleyもそうですね。読んだのが結構前なのでうろ覚えですが、後者の役者による役柄解釈のインタビューの挿入について批判的だったのは注目に値する部分の一つです。確かバリマン自身もそうだったはず。(うろ覚えすぎるので確かめないとだめですね…)

第4章で、亡命期の作品やテレビ向け作品を取り上げているのですが、前者に対してあまり高い評価が与えられていないところもスタンダードというか、「同じテーマの繰返しに入ってきている」という理解も、『ファニー~』が出る前の捉え方として、非常に一般的というか。

総じて彼の議論自体にとりたてて惹かれるところはなかったのですが、最初に書いたように、時代によって変わっていくベルイマン作品の捉え方の一つの根拠と見なすといいかなというのが読後の感想です。(全体的に今回はあまり書くことがありませんでしたね…)